戦後改革が生んだ確定申告

戦後改革が生んだ確定申告-税理士 名古屋/名古屋市のよねづ税理士事務所

参考:2005/01/31, 日本経済新聞 朝刊


 毎年二月中旬から始まる確定申告。そもそもの発端はGHQ(連合国軍総司令部)の勧告だった。それまでは地域の税務署が個人の所得金額を決めており、地域によって所得把握に差が出るなど不公平感が強かった。

 導入の目的について、国税庁税務大学校の鈴木芳行研究調査員は「不公平をなくし、民主的にすることが目的だった」と話す。

 GHQが勧告を出し、日本政府に税制改正を求めた。すぐに導入とはならなかったが、税制を広く議論するため蔵相の諮問機関として「税制調査会」を設置。議論の末、GHQの指示に従って一九四七年度に所得税法を全面改正し、申告制度を導入した。

 当時の前尾繁三郎主税局長は議会で「申告納税は民主主義に適合」するものであると述べている。

 年間所得が四千八百円を超えると、翌年一月末までに所得税額を記載した申告書を政府に提出するのが導入時の仕組みだった。

 制度を導入後、二つの問題が持ち上がった。

 一つは普及が進まなかったこと。このため懸賞金付きの申告用紙が出回った。家族構成や収入から所得税額はいくらになるかというような計算問題が申告用紙に付いており、正解者には抽選で懸賞金を出した。

 もう一つは過少申告や無申告が多かったこと。一九四八年分では、納税者の七割が過少申告などで行政から指摘を受けたという。

 こうした事態を想定し、所得金額を納税者同士でチェックする仕組みも導入していた。政府に請求すれば申告書を閲覧できるようにし、だれかの所得金額がおかしいと思えば、通報できるというものだ。

 通報によって徴収できた金額の十分の一以下で十万円を超えない範囲の報奨金を通報者に出した。もちろん、でたらめな通報がないように懲役刑や罰金などの罰則もあった。

 しかし、通報制度はプライバシーの問題があり、長続きしなかった。一九四九年に来日したシャウプ使節団は「(所得金額の公開は)行政の一助になるが、納税者の協力を得るには申告書は秘密にすべきだ」と政府に勧告した。

 この結果、高額所得者に限って、氏名や所得金額を公示する制度ができた。この制度は公示内容を所得金額から所得税額に変えて現在に至っている。



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